わたしの祖母、羽田たねじは明治の生まれです。
第2次世界大戦で、2番目の男の子郁ちゃんを失いました。
私が生まれた家の座敷の壁には、
兵隊帽を被った若い郁おじさんの写真がかけられていました。
ニューブリテン島で戦病死ということでした。
祖母は一度だけ私に話してくれました。
「庭先でな、じゃあ、かあやんいってくるよ、ってな。おお、行ってこうよ」
それが最後の会話だったと。
息子を失った祖母の悲しみ、それが私にとっての戦争というものでした。
1982年日本の「教科書問題」が起きました。
日本の文部省の歴史教科書検定に対しアジアから抗議の声が上がりました。
日本のアジアへの関りを「侵略」ではなく「進出」とするようにというものでした。
抗議デモの写真を新聞でみたとき、私の戦争への認識はグラグラと揺れ始めました。
あの優しい目をした29歳の若者はアジアで何をしたのか、
させられたのかという疑問が沸き起こったのです。
このころ日本はバブル期にありました。
市民グループアジアの女たちの会は、戦時賠償で富を蓄えた日本企業の男たちが札束をもち、アジアの女たちを買う行為に対し大きな抗議の声をあげていました。
日本はアジアで何をしてきたのか、何をしているのか、知らなければならない。
知らなければ、ともにアジアに生きる市民同士として出会えない。
それが出発点でした。
羽田ゆみ子
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